私は、社会人になってから、初めてプログラムを作った。
骨の髄からプログラマな人にとってはプログラムだなんていえないような代物かも知れないけれども、とにかく、「自分が作ったものが動く」その最初の一歩を踏み出すまでの、素人にとっての参入障壁は予想以上に高かった。マニュアルを読んでも何が書いてあるのか理解ができない段階からのスタートだったのだ。
お客様に納品した時は、本当に嬉しかったし自信になった。
あのときの感動は今でも忘れられない。
次の悩みは、
「仕様どおりモノは作った。
じゃあ、それは、本当にお客様の役に立っているのか?
どうしてあげることが”本当にお客様のため”なんだろう?」
エンドユーザーの顔が見えない仕事をしているのが辛くなったとき、私は初めての客先常駐にアサインされたのだった。
それまで、社内には、技術的には素晴らしい先輩がたがたくさんいたが、残念なことに、お客様先を一段低いものとしてみる人もいた。
でも、実際に行ってみたら、
「何がお客様に喜ばれるか。喜ばれないか。」
社内で机にかじりついていた時代には見えないものが見える気がした。
お客様の喜び、大変さ、というのを隣で見たことは、私の大きな財産になったと思う。
同時に、自分のいたらなさ、役に立ちたいと思う気持ちが先走り、スキルがついていかない悔しさから、自信を失ってもいた。
その時に大きな励みになったのは、
当時シリコンバレーにいた、憧れの先輩が、
「仕事の最先端、というのは、アメリカにあるのではなくて、お客様の所にいるSEのところにある。」と言って下さったことだ。
そして、長い通勤時間で肉体的にしんどくて頭が死に掛けていたとき
「長い通勤時間は、勉強するチャンス。」と言ってくれた友達がいた。
この二つの言葉があったからこそ私は通勤時間に英会話を始めたのだ。
そうでなければ、田舎の国立大学の、それも法学部なんて出ていて、帰国子女でもない私は、きっと外国で働くチャンスなんてモノにできなかっただろう。
社内で商品企画をやれと言われたが、どうしても、自分のアイディアに自信が持てなかった。
自分の頭だけで考えることに限界があるのは分かったけれど、どう前に動かせば良いのかが分からなかったのだ。ひどく行き詰っていた。精神的にはかなり落ち込んでいた。
すると、またしても目の前にチャンスがやってきた。
二度目の客先常駐がオファーされたのだ。
しかも、今度の仕事は、英語を使うことになるかも知れないと。
「活躍するチャンスを待っていましたよ」と、
一度も一緒に仕事をしたことがない、社内では強面で有名な部長にそんな言葉を掛けられ、
「あぁ、もがいている私を、見ていてくれた人がいるのだなぁ。」
と思った。
英語で自分を上手く表現できなくて、これまでと違い、技術的にできる・できないの話ではなく「ビジネス的に、どうなのか」という視点を要求されたとき、自分は骨の髄までエンジニアだったということを痛感した。
でも、アメリカの一流ファームの優秀なコンサルタントや、他の会社のエンジニアとチームを組み、自分がマネージャとして、小さいながらも、「世界初」のプロジェクトを完遂したことは私の大きな自信になった。
素敵な人、凄い人、一緒に働いてみたいと思える人に出会えたことがいちばん嬉しい出来事だった。
お客様から必要とされつつも、社内からも必要とされ、会社に戻った。
正しい答えなんてもしかしたらどこにもないのかもしれない、そういうマーケティングの世界に足を踏み入れ、自己流で、無我夢中に走り回っているうちに、「留学」のチャンスが訪れた。
2ヶ月の学生生活は、毎日が本当に楽しかった。
大量の宿題も、言いたいことが言えなくて悔しかったクラスディスカッションも、英語が出来ない私の優れたところを見出してくれた先生のフィードバックにも、何より、前に向かい続けようとするクラスメイト達に刺激を受けた。Top30のB-Schoolに受かった人を抜いてクラスでトップに立ったとき
「あぁ、今まで自分で考えてきたやりかた、もしかして良かった?」
と、ちょっとだけ自信を持つことが出来た。
そして今私はアメリカにいる。
こう考えると、走る→壁にぶつかる→悩む→ちょっとしたブレイクスルー→自信を回復→また走る→壁にぶつかる この繰り返しだ。
この先どうなるかなんて私には予想も付かないが、こうして振り返ってみて思うのは、
「壁にぶつかるところまで、まず自分の足で行かなければいけない」
ということだ。ぶつからない壁は、超えられないし、壁を超えないと前には進めないからだ。
そして、壁にぶつかるとき、なぜかは分からないが、不思議なことに、必ず、見てくれている人というのはいるものだ、と思った。神様からの贈り物ではないかと思うようなそんな出会いは、壁にぶつかったときに現れる。
「超えられない壁は、自分の前には現れない。」
壁を目の前にした時は、こんなことを思う余裕はないけど、いざ超えてみると、そんなふうに思う。次の壁を前にした時、たぶん私は怯むだろう。でも、もし少しだけ、ほんの少しだけ次に壁にぶつかったとき私の心に余裕があったら、この言葉を自分に掛けようと思っている。
もし、今、高い壁が目の前に現れて立ちすくんでいる人がいたら、
「大丈夫。超えられない壁は自分の前には現れない。」
こう、自分に言ってみて欲しい。
私が超えてきたような壁なんて、ゼンゼン大したことないぜ、てな具合に、もっとすごい壁を悠々と超え続けてる人は、きっとたくさんいる。でも、私は私自身の壁を超えてきたことに対しては、嬉しく思っている。
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追伸:難しい本に出会ったとき、私の友人は
「これを書いたのも人間。同じ人間の自分に理解できないわけがない」
そう言い聞かせるそうだ。名言だ、と思った。 |
脱力しているショウコの上サどぴゅっどぶっかつもっけるど<#CR>http://www.gekimovie.info/ [Read More]